二俣城
戦国時代

225 二俣城

天竜川と二俣川に挟まれた天険を利用した城で、武田、徳川軍が激しい攻防戦を繰り広げた。天竜川に突き出ているのは、川から直接水が汲めたという水の手櫓で、籠城戦で焦点となった。

考証 加藤理文 2003年 『歴史群像59 6月号』

田中城

 戦国時代

226  田中城

武田氏によって整備された城として有名。虎口に丸馬出しを多用するところも武田流とされる。城は、江戸時代にもその堀などを受け継いで存続した。

考証 香川元太郎 2004年 学研『戦国の堅城』

田中城
江戸時代

803  田中城

その後の田中城は、徳川氏によって整備され、外堀が造られた。日本の城の中でも最も丸い縄張りの城として知られている。

考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

小長井城

 戦国時代

227 小長井城

「小長谷城」とも書く。大井川上流の山間部に築かれた城で、武田氏によって拡張され、重ね馬出を備えた攻撃的な縄張りとなった。

考証 西股総生 2012年 『歴史群像116 12月号』

韮山城

 戦国時代

249  韮山城

後北条氏5代の始祖、北条早雲の城として知られる。イラストは豊臣秀吉の北条攻めで包囲され、周囲に陣城と堀が作られている状況を想定した。

考証 中井均 2002年 『歴史群像53 6月号』

狩野城

 戦国時代

251  狩野城

伊豆の修善寺温泉近くに築かれた山城。大規模な堀切と、トーチカ的な曲輪を備えた堅固な構造が特徴。

考証 西股総生 2014年 『歴史群像125 6月号』

今川義元館
戦国時代

うえへ

252 今川義元館

今川義元の館は、守護大名の格式を備えた「方形館」と呼ばれる四角いプランの平城。城下集落や、それを囲む総構えもあったと思われる。

考証 前田利久 1997年

『歴史群像シリーズ50 戦国合戦大全』上巻

281 今川館

252と同じ題材を、アップで描いた。背後の山は富士山。手前の土塁を一部切り取って、建物を見せている。

考証 前田利久 1997年

『歴史群像シリーズ50 戦国合戦大全』上巻

高天神城
戦国時代

254 高天神城

武田と徳川が激しく戦った城として知られる。谷を挟んで2つの城が連結したような縄張りは、「一城別郭」の好例と言われている。

考証 関口宏行 1998年 『歴史群像36 秋冬号』

314  高天神城の戦い

武田方が籠城する城を、徳川軍が囲んだ様子を想定。長篠合戦後、劣勢になった武田方は高天神城を後詰することができず、城は壮絶な最後を遂げたとされる。

考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『覇王家康』

317  高天神城

西股氏の考証による復元。武田方が徳川軍を迎え撃つ直前を想定し、逆茂木を多数並べている。

考証 西股総生 2010年 『歴史群像104 12月号』

長浜城
戦国時代

257 長浜城

海に突き出た山を要塞化した城。伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。軍港も備えていたと推定される。

考証 西股総生 2007年 『歴史群像84 8月号』

丸子城

 戦国時代

うえへ

258  丸子城

今川氏配下の城だったが、のちに武田氏の城となり、武田の重臣山県昌景も城主となった。武田氏が築いた山城の傑作とされるが、丸馬出しは、徳川氏の増設との説もある。

考証 西股総生 2006年 『歴史群像76 4月号』

下田城

 戦国時代

305  下田城

北条氏の水軍の根拠地。下田港を見下ろす山の上に造られている。畝堀(障子堀)を備えた長い横堀があり、北条氏の発達した城造りを見ることができる。

考証 樋口隆晴 2012年 『歴史群像114 8月号』

諏訪原城

 戦国時代

322  諏訪原城

台地の一角を利用した武田氏の前線基地。武田時代を想定した復元だが、イラスト制作後の発掘調査で、上部の丸馬出しは徳川氏の構築と判断された。

考証 中井均 2001年 学研『戦国の堅城』

815 諏訪原城

徳川氏による増設中、今川氏真を迎え入れるという状況を想定。西から見て、遠景に大井川を入れた。

考証 加藤理文 2017年 『歴史群像12月号』

諏訪原城
江戸時代

796 諏訪原城

武田氏との攻防を経て、徳川氏の城となった諏訪原城は、牧野城と名を変え、外郭の曲輪も増設された。

考証 香川元太郎 2016年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

駿府城

 江戸時代

783  駿府城

徳川家康が隠居城として築いた。四角い縄張りの平城で、近世城郭の完成形と言える。天守の大きさも屈指の規模だった。

考証 加藤理文 2015年 『歴史群像129 2月号』

山中城
戦国時代

818 山中城

羽柴秀吉による小田原攻めの際、北条方の最前線基地として、東海道を塞ぐように築城された。障子堀が多用され北条流築城の粋を集めた城だったが、激戦の末、圧倒的大軍の前に1日で落城した。

考証 加藤理文 2017年 学研「山城ガイド」

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

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