城の変遷

 14世紀〜19世紀 ヨーロッパ

561  城の変遷1

中世の領主の城。近世になって大砲が使われるようになると、実践的な城ではこの形式は使われなくなっていく。しかし中世の城のイメージは、戦闘用ではない館に引き継がれた。

考証 香川元太郎 1996年 『歴史群像25 6月号』

562  城の変遷2

中世ヨーロッパでは、各地の主要都市が城壁で囲まれていた。街の中心には教会と広場があり、家は2階・3階建てが多かった。

考証 香川元太郎 1996年 『歴史群像25 6月号』

563   城の変遷3

近世になると、実践的な城が陵堡築城に発達する一方で、王や領主の館は、見た目や居住性重視の館城へと発達していった。現在、観光地として有名な城にはこのタイプのものが多い。

考証 香川元太郎 1996年 『歴史群像25 6月号』

ウィーン

 17世紀 オーストリア

564 ウィーン

高くて内部に部屋を持つ中世の塔が、大砲に弱かったことから、16〜18世紀のヨーロッパでは、低くて厚い城壁による稜堡が発達した。イラストは音楽の都、ハプスブルグ家の帝都でもあったウィーン。古くは中世スタイルの城郭都市だったが、16世紀以降は稜堡が発達し、その様子は緻密な古地図によって知ることができる。

 考証 香川元太郎 1995年 『歴史群像22 12月号』

南北戦争
19世紀 アメリカ

うえへ

579 南北戦争

アンティタムの戦い

南北戦争で初めての大会戦で、最終的に北軍の勝利となるが、両軍合わせて23,000人が戦死した。アメリカ国内では、史上最も犠牲者の多かった戦闘。

考証 香川元太郎 1996年 『歴史群像26 8月号』

マルテロ塔

 19世紀 イギリス

580 マルテロ塔

ヨーロッパでは大砲の威力が向上するにつれて、城壁での小銃の攻防を重視した陵堡式築城も次第に時代遅れとなってきた。守るべき都市などが遠くからの砲撃で破壊されてしまうのを防ぐには、都市に敵の大砲を近づけないよう、郊外に小要塞や砲台を点在させるプランが重要になった。イラストはイギリスの海岸に設けられた砲台で、これが100以上造られた。

考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像20 8月号』

中世の城

 中世ヨーロッパ

594 中世の城

中世の城に見られる様々な構造物を集めて描いた架空の城。内部に部屋を持つ塔を城壁で結ぶのが典型的な築城のパターンで、外郭と内郭の二重構造になるものも多い。中心の塔は城主の館でもあるキープ。これらの建物は必ずしも石だけで造られるわけではなく、内部の床や屋根、張り出し歩廊などは木造になることも多い。門には、よく跳ね橋などの仕掛けが設けられた。

このような施設が整った城を当時の武器で攻め落とすのは難しく、トンネル戦法が最も有効な攻城法だったとされる。

考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像18 4月号』

カルカソンヌ

 中世 フランス

598 カルカソンヌ

ローマ時代から中世にかけて造られた城郭都市で、街を含む外郭と領主の城となる内郭からなっている。現在のカルカソンヌは19世紀の復元建築が含まれるものの、中世の城郭都市を現代に残す貴重な遺構。

考証 香川元太郎 1995年 『歴史群像21 10月号』

ロンドン塔

 14世紀 イギリス

599 ロンドン塔

11世紀にウイリアム征服王がイングランドの王に即位して築いた城。

ウイリアム2世の時代に完成したキープが「ホワイト・タワー」または「タワー・オブ・ロンドン」と呼ばれた事から、それが城全体の呼び名になった。その後周りの城壁も度々増築され、14世紀にはイラストのような姿になった。

考証 香川元太郎 1995年 『歴史群像21 10月号』

モット&ベイリー

 中世ヨーロッパ

うえへ

595 モット&ベイリー

ノルマン人(バイキング)達が古くから用いていた素朴な城。「モット」は土盛りのことで、城主の住む「キープ」が建てられた。これが本丸とすると二の丸に当たるのが「ベイリー」。この形式に、ローマの石積み技術を取り入れる事で、中世ヨーロッパの城が生まれたと言われる。

考証 香川元太郎 1993年 『歴史群像6 4月号』

602 モット&ベイリー

同形式の城で、細かい部分が異なるパターン。ロンドン塔も、ノルマン出身のウイリアム征服王が最初に築いた城は、モット&ベイリーだったとされる。

考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像18 4月号』

シェル・キープ

 中世ヨーロッパ

601 シェル・キープ

木造建物が石造りの城壁で囲まれたもの。この城壁が高くなって2階が造られ、全体に屋根が掛かれば中世の城の塔やキープとなる。城壁に沿って建つ木造建物は、後の時代の城でもよく見られる。

考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像18  4月号』

ハドリアヌス・ウォール

 2世紀 スコットランド

603

ハドリアヌス・ウォール

ローマ帝国の全盛期(2世紀)ハドリアヌス帝はそれまでの拡大戦略から、国土防衛重視に戦略を転じ、辺境の各地で城壁を築いた。中でもスコットランドの城壁は全長120㎞の長城で、小塔や砦が点々と置かれて、北方民族の侵入を防いでいた。

考証 香川元太郎 2007年

『歴史群像シリーズ図説 激闘ローマ戦記』

604 ハドリアヌス・

ウォールの門

内側に馬出し状の小曲輪を備えた二重構造で、門の上には小塔が設けられたと思われる。

後の中世ヨーロッパで発達した城も、これらローマ時代の築城法が基礎になっていた。

考証 香川元太郎 2007年

『歴史群像シリーズ図説 激闘ローマ戦記』

レパント海戦軍装
16世紀

うえへ

605 レパント海戦軍装

レパントの海戦は1571年にスペインを中心とする西洋軍とオスマン帝国の間で行われた大海戦。左は、軽装のオスマン軍,右は鉄の甲冑を用いた西洋軍

考証 三浦権利 1993年 『歴史群像5  2月号』

パリ

 16世紀 フランス

612  パリ

百年戦争の後、フランスの首都として発達したパリの様子を、古地図から復元。

中央がノートルダム聖堂のあるシテ島で、広大な街が城壁によって囲まれ、いくつかの王城や宮殿も存在し、 中央上には、当時は城として使われていたバスチーユ城もある。

考証 香川元太郎 1999年 『歴史群像40 秋冬号』

ローマの攻城塔

 1世紀前後 古代ローマ

618  ローマの攻城塔

ローマ時代には攻城塔など城攻めの道具も生まれ、その後、大砲が登場するまで、千年以上もほぼ同じ構造のものが使われていた。

イラストは、ユダヤ戦争でのマサダ要塞の攻防を想定したもの。

考証 高橋正男 1992年 『歴史群像2 8月号』

バイキングの航海

 9世紀 ノルウェー

621 バイキングの航海

ノルマン人(バイキング)は8世紀頃から、新しい移住地を求めてヨーロッパ各地に遠征した。バイキング船は発掘調査や復元が行われており、シンプルだが美しいフォルムで知られる。

考証 香川元太郎 2002年

東京書籍『ニュークロノス図解世界史』

アテナイ(アテネ)

 BC5世紀 ギリシャ

627 アテナイ

アテナイは、パルテノン神殿のあるアクロポリスを中心にした都市(右上)だが、地中海貿易が盛んになると、港町ペイライエウス(左下)が発達した。ここを基地としたのが、ギリシャ随一と言われたアテナイ海軍。アテナイとスパルタが覇権を争った時期に、本市街とペイライエウスを結ぶ大城壁が完成した。

考証 香川元太郎 1999年 『歴史群像38 春夏号』

稜堡をめぐる攻防

 17世紀 フランス

754 稜堡をめぐる攻防

陵堡式築城では、城壁のすべての場所に十字砲火が与えられるように、という発想からギザギザの城壁が工夫された。そのシステムの確立者として知られるフランスのヴォ―バンは、塹壕を駆使してその城壁を攻める方法でも第一人者だった。イラストはヴォ―バンが手掛けた城郭都市ヌフ・ブリザックをモデルに、ヴォ―バンの攻城法も描いた。

考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像19 6月号』

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

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