会津若松城

 江戸時代

122  会津若松城

東北を代表する城で、戊辰戦争の激しい籠城戦でも知られる。当初は通常の瓦で葺かれていたが、冬の凍結で瓦が割れることが多く、江戸前期に開発された割れにくい赤瓦に葺き替えられた。

考証 香川元太郎 2003年 PHP研究所『名城を歩』」12

125 会津若松城

御三階

本丸御殿の一画に設けられた。移築されて現存しており、その形によって描いた。しかし本来は雅亭だったと思われ、壁の造りなどが異なっていた可能性がある。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

126  天守断面

天守内部がわかる史料は残されていないが、一定の逓減率を持つ外観から、内部は母屋部を入側が取り囲む構造だったと推定される。特徴的なのは天守が天守台いっぱいに建てられず、塀で囲まれていることで、初期の天守形態の一つと考えられる。石蔵は上下2段になっていたと考えられ、下段には井戸もあった。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

152  会津若松城

(戊辰戦争時)

122と同じアングルだが、復元資料の多い幕末の状況を想定している。ここでは赤瓦の色を強調したほか、地形の高低からの推定で、堀の一部を空堀に描いている。

考証 石田明夫 2013年 『歴史群像119 6月号』

久川城
戦国時代

275 久川城

南会津を代表する戦国の山城。国人領主河原田氏の城で、伊達政宗の攻撃を退けたが、その後、秀吉の奥羽仕置で蒲生領となった。山裾の虎口などは蒲生時代の整備と思われる。

考証 西股総生 2005年 『歴史群像69 2月号』

第2次白河口の戦い
江戸時代

436 第2次白河口の戦い

戊辰戦争の一つ、白河口の戦いの戦場を南から鳥瞰。中央上の町が、白河小峰城の城下町。新政府軍と奥羽列藩同盟軍との間で、小峰城を奪い合ったが、最後は新政府軍が優位に立って城を確保した。

考証 井上幸雄 1994年 『歴史群像シリーズ39 会津戦争』

阿津賀志山合戦

 鎌倉時代

509  阿津賀志山合戦

宮城県との県境に近く、奥州街道が谷にさしかかる場所。鎌倉時代初期、幕府を開いた源頼朝方の軍と、平泉を中心に栄華を誇った藤原氏がここで激突した。藤原方は三重の空堀による長塁を築いて幕府軍を迎えうったが、破られて敗走した。

考証 香川元太郎 2005年

学研『パノラマ絵地図3鎌倉~室町時代』

摺上原合戦

 戦国時代

681  摺上原合戦

伊達氏と蘆名氏が戦った、戦国時代の東北で最大規模の合戦。蘆名氏は敗走し、伊達政宗が東北随一の戦国大名の地位を確立した。右上は磐梯山、左下が猪苗代湖。

考証 香川元太郎 1995年

世界文化社『ビッグマンスペシャル 伊達政宗』

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

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