小田原城 

 戦国時代

131 小田原城1

北西から見た戦国期の小田原城。北条氏の本拠地で、大城郭として知られる。イラストは、上杉謙信に攻められた時を想定。城は落ちることなく、謙信の軍は撤退した。

考証 香川元太郎 1996年  世界文化社 『日本の城』

133  小田原城の堀

小田原城では障子堀と呼ばれる独特の堀が多用された。発掘で検出された堀をモデルにしており、櫓や塀などは推定で加えた。

考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

689  小田原城2

秀吉の小田原攻めを想定。もともと大城郭だった小田原城だが、秀吉軍に対抗するため巨大な惣構えが造られ、戦国時代最大の城になった。

考証 西ケ谷康弘 1991年 『戦国の城 上 関東編』

792  小田原城3

東から見る。まだ惣構えが造られる前の状況で、武田信玄による小田原攻めを想定している。

考証 香川元太郎 1994年 世界文化社

小田原城 

 江戸時代

130 小田原城天守

江戸時代の天守は木造の模型が残されており、それらから復元。現在も、概ねこれと同じ形の天守が復元されている。

考証 香川元太郎 1994年 『名城の天守総覧』

132 小田原城

北条氏の小田原城跡を利用して築城された。江戸時代の間も、背後の山に張り巡らされた戦国時代の空堀が残っていたことが、幕末期の絵図からわかる。現在、イラスト上部の山は鉄道工事によって削られている。

考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所『名城を歩く』18

石垣山城 

 安土桃山時代

200 石垣山城

秀吉による小田原攻めの本陣。「一夜城」としても知られている。手前は石敷きの「太閤道」。現地には天守台跡もあるが、天守が実際に建てられたかどうかは不明。

考証 香川元太郎 1993年 世界文化社

201 石垣山から見る小田原

石垣山から望む小田原城。城址からは小田原城がギリギリ見える程度で、小田原からも石垣山城の低い部分(曲輪の裾など)は見えない。そこに一夜で城が建ったように見えるカラクリがあったと思われる。

考証 香川元太郎 1995年 世界文化社

211 石垣山城建造中

小田原開城の際には、まだ天守は完成していなかったと推定して復元した。城郭建築は瓦葺き、御殿建築は板葺きもしくは檜皮葺と想定。

考証 西股総生 2011年 『歴史群像106 4月号』

三崎城 

 戦国時代

293  三崎城

北条氏の水軍の拠点。奥に見えるのは城ヶ島。

考証 西股総生 2003年 『歴史群像57 2月号』

大塚遺跡
弥生時代

350 大塚遺跡

横浜市にある環濠集落で、イラスト上部の歳勝土遺跡は、多数の墓が並んでいる。大規模発掘調査で、環濠や柵の跡などが発見された。

考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

351 環濠集落を巡る戦い

大塚遺跡をモデルにした断面。柵は、平坦部の縁ではなく、堀の外の土塁上に立てられており、柵を越えようとする敵を狙い撃つ戦い方が想定される。

考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

中世鎌倉
鎌倉時代

361 鎌倉の全体像

南から見る。鎌倉を囲む山上には切岸による防衛線が巡らされ、「切り通し」と呼ばれる虎口が設けられた。海岸線は今よりも深く入り込む。東の和賀江島は人口の堤防。

考証 香川元太郎 2003年

あすなろ書房 『衣食住に見る日本人の歴史3』

横浜港 

 明治時代

430  横浜港

横浜はもともと河口に発達した砂州で、開港当初は堀で外から切り離された島となっていた。イラストは明治中期の状況で、中央の公園が現在の横浜スタジアム、手前の堤防が大桟橋に当たる。道路が斜めになった地域が中華街。

2007年

津久井城 

 戦国時代

776  津久井城

北条氏による築城で、山頂の曲輪には石垣が使われている。関東では珍しい畝状竪堀の遺構もある。現在、山裾の川はダムが設けられて湖となっている。

考証 西股総生 2014年 『歴史群像127 10月号』

玉縄城

 戦国時代

801  玉縄城

後北条氏の拠点の一つで、すり鉢城の地形を城の中心に利用した独特の縄張りが特徴。ここを本拠とした玉縄衆は、後北条氏軍の中でも特に精鋭として知られていた。日本城郭史学会の坂井氏の考証による。

考証 坂井尚登 2017年  『歴史群像142 4月号』

805 玉縄城

上と別角度からのイラスト。玉縄城の地質は鎌倉に似ており、複雑に谷戸が入り込んでいる。

考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

小机城
戦国時代

816 小机城

玉縄城と同様に、北条氏の拠点城郭のひとつ。2つの中心曲輪と、それを囲む大規模な空堀が特徴。北東から見る。

考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

832 小机城

南東から見る。上を流れるのは鶴見川。西股総生氏による復元案で、巨大な空堀が、当時は障子堀だったのではないかとの推定。

考証 西股総生 2018年 『歴史群像149 6月号』

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

このサイトのすべての画像・文章の無断転載・複製・改竄を禁じます。

管理人 さちたろう

当サイトはリンクフリーですが相互リンクはお断りしております。

Copyright (c) Gentaro Kagawa & shiori kagawa All Righrs Reserved.