安土城

 安土桃山時代

1   安土城本丸御殿

安土城は、織田信長の最後の居城で、その後の城に多大な影響を与えた。本丸御殿は天守の一段下に設けられたもので、天皇を迎えるための御幸御殿と推定されている。

考証 西ケ谷康弘 2003年  PHP研究所 『名城を歩く』13

2   安土城鳥瞰

大手となる南側からの鳥瞰。安土城は、それまでにない大規模な石垣・瓦を用いた城郭建築・天守(天主)を持つ事が画期的だった。

考証 香川元太郎 1995年 世界文化社

3   安土城鳥瞰

南東からの鳥瞰。城内には石垣作りの曲輪が多数あり、それぞれが家臣たちの屋敷となっていた。

考証 香川元太郎 1995年

4   安土城

安土城天守 信長の居館でもあった。内部の障壁画は信長公記などに詳しい記述が残されているが、全体像には不明点も多い。

考証 西ケ谷康弘 1994年 世界文化社

5   安土城鳥瞰

南西からの鳥瞰。安土城は、城だけでなく大規模な城下町が計画的に建設されたことでも画期的だった。

考証 秋田裕毅 1997年

『歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全』

6   安土城摠見寺

信長が安土城内に建立した。堂内には須弥山をイメージした盆があったと推定される。安土城が廃城となった後も寺は存続した。

考証 香川元太郎 1997年

『歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全』下巻

7   安土城鳥瞰

東からの鳥瞰で、右下はかつて六角氏の本城だった観音寺城。山の規模は観音寺城の方が大きい。

考証 香川元太郎 1997年

コーエー「信長の野望・将星録」マニュアル

8 城の石垣作り(穴太衆)

図の要点は、版築土塁や石積みの様子で、中央の斜路は江戸時代の数学書から描いている。場所としては安土城天守台を想定している。

考証 香川元太郎 1993年 世界文化社

9   安土城鳥瞰

安土城周辺は明治以降、水田などが開発されたが、当時は琵琶湖の内湾が入り込んで半島状になっていた。

考証 香川元太郎 2003年  PHP研究所 『名城を歩く』13

10 安土城鳥瞰

上と同じ南西からのアングルで、城下町を見せている。城下町には多くの水路(運河)が入り込んでいたことが、明治期の地図から推定される。

考証 香川元太郎 1993年  学研 『戦国の城 総集編』

12 本丸御殿透視図

本丸御殿から、本丸上段へは直接行ける作りだったとも考えられる。天守とその周辺の構造には、多くの説があり、復元案も様々ある。

考証 香川元太郎 1994年 世界文化社

彦根城

 江戸時代

うえへ

58  彦根城(創建時)

天守や天秤櫓などが現存している。典型的な平山城で、丘を利用した城の中心部は曲輪が直線的に並ぶ連郭式の縄張り。創建当時、まだ表御殿や玄宮園は造られていなかった。

考証 中井均 2007年 『歴史群像83 6月号』

59  彦根城

三重の堀に囲まれた広大な構えは、譜代大名の筆頭格だった井伊家の城ならでは。イラスト上は琵琶湖の内湾で、湖水を防御と水運の両面に利用した彦根城は、水城と捉えることもできる。

考証 香川元太郎 2002年 PHP研究所『名城を歩く』4

60 彦根城と佐和山城

彦根築城では、それまでこの地域の中心だった石田三成の佐和山城から、建物の部材が運ばれて再利用された。彦根城下から、廃城となった佐和山の城跡を望む。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

61 彦根城天守断面

外見は多数の破風を用いた個性的な天守だが、内部は穴蔵もなく、各階が中心の部屋と入側で構成される、ごく一般的な構造。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

内中尾城

 安土桃山時代

うえへ

206  内中尾城

別称玄蕃尾城。賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣になったとされる。短期間で整備された山城で石垣も使われていないが、中心部は織豊城郭的なプランで、天守的な大櫓や渡り櫓門などがあったと推定される。

考証 樋口隆晴 2013年 『歴史群像122 12月号』

坂本城

 安土桃山時代

217 坂本城

比叡山焼き討ちの後、明智光秀が京と比叡山の抑えとして築城した。琵琶湖に面した水城で、背後は比叡山。

考証 中井均 2002年 『歴史群像シリーズ  俊英明智光秀』

観音寺城

 戦国時代

263 観音寺城

近江の戦国大名、六角氏の居城。規模が大きく、石垣も多用されていて、安土城に影響を与えたと言われる。山裾に接する低い山(右上)に安土城が造られた。

考証 中井均 2003年 『歴史群像63 2月号』

宇佐山城

 安土桃山時代

うえへ

273 宇佐山城

京と近江を結ぶ街道を見下ろすように造られた森可成の居城。中心部に石垣が用いられた織豊系山城の典型例。

考証 中井均 2003年 『歴史群像60 8月号』

小谷城

 戦国時代

297 小谷城

浅井氏の居城で、堅城と詠われたが、織田信長に攻められ落城する。戦国時代を代表する山城のひとつ。

考証 中井均 2000年 『歴史群像44 秋冬号』

高取山城

 戦国時代

307 高取山城

彦根東部の山中にあり、伝承もほとんどない城。京極氏が軍事拠点として築いたと推定されている。

考証 中井均 2009年 『歴史群像93 2月号』

比叡山焼討ち
安土桃山時代

674 比叡山焼討ち

織田信長による比叡山焼き討ちの様子をイメージして描いた。

考証 兼康保明 1990年

『歴史群像シリーズ20 激闘織田軍団』

瀬田の唐橋の戦い

 飛鳥時代

775 瀬田の唐橋の戦い

琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かる橋は、古代から重要な橋として知られ、構造も工夫されていたことから「唐橋」と称された。飛鳥時代の壬申の乱では、ここが主戦場となった。

考証 来村多加史 2010年

『歴史群像シリーズ特別編集 古代天皇列伝』

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

このサイトのすべての画像・文章の無断転載・複製・改竄を禁じます。

管理人 さちたろう

当サイトはリンクフリーですが相互リンクはお断りしております。

Copyright (c) Gentaro Kagawa & shiori kagawa All Righrs Reserved.