江戸城 

 江戸時代

153  江戸城

南から見た江戸の全体像。築城工事は家康時代から断続的に行われ、三代将軍家光時代(寛永期)に完成した。町全体を囲む惣構えは日本の城の中で最も大きい。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

154  江戸城二の丸

東から見た寛永期の本丸と二の丸。儀式や政治の場であった本丸御殿に対し、二の丸御殿は庭も広く風雅な造りとなっていた。

考証 香川元太郎 2004年

PHP研究所 歴史街道スペシャル『名城を歩く』24

155  寛永期天守断面

外観と同じ5階建て(地下を含めて6階)のシンプルな構造だが、各階の天井が非常に高い。当時、世界最大の木造建築だったと思われる。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

158  寛永期天守

西から見た天守。江戸城には、家康時代にも秀忠時代にもそれぞれ天守があったと思われるが、確実な資料が残り、ほぼ正確に復元できるのは三代目の寛永期天守だけ。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

160  寛永期本丸御殿

儀式の中心となった表御殿を、屋根を取り除いて描いている。左端の長い廊下が、忠臣蔵で有名な松の廊下。

161  江戸城主要部

北西から見た寛永期江戸城の主要部。手前左が、現在武道館などがある北の丸。千鳥ヶ淵を挟んで手前右が西の丸。寛永期まではここに御三家の屋敷があった。

考証 原史彦 2003年

朝日ビジュアルシリーズ『日本遺産』45東京の歴史散歩

162

寛永期天守と北桔橋門

北から見た寛永期天守。江戸の町を火の海にしたという明暦の大火で、御殿などと共に焼失。その後天守は再建されなかった。

考証 香川元太郎 1994年 学研 『名城の天守総覧』

江戸城

 戦国時代

うえへ

743 家康入城時の江戸城

戦国時代の江戸城は、太田道灌が築城し、のちに北条氏の配下となっていた。北条氏滅亡後に徳川家康が入場した時、御殿はかなり痛んだ状態だったが、家康は応急修理をして使ったと記録されている。

考証 香川元太郎 1990年 『 東京の一万年 上巻』

辛垣城

 戦国時代

222 辛垣城

青梅(二俣尾駅の北の山)の城。三田氏が治めた城で、東京には珍しい本格山城のひとつ。

考証 西股総生 2011年 『歴史群像109 10月号』

深大寺城

 戦国時代

239 深大寺城

現在の神代植物園に隣接した場所で、堀の一部が残る。中世の関東に大変よく見られる台地上の城。

考証 西股総生 2008年 『歴史群像88  4月号』

八王子城

 戦国時代

245 八王子城

北条氏が秀吉の進行を防ぐために整備した大城郭。豊臣方の大軍によって一日で落城した。現状の縄張りを踏襲した復元案で、東側から見る。

考証 香川元太郎 2000年『日本人は石で何を作ってきたか』

296 八王子城(裏)

上のイラストとは異なる西股氏の復原案。当時は現在観察される以上に石垣が多用されていたとの推定で描いた。搦手となる西側から見る。

考証 西股総生 2013年 『歴史群像117 2月号』

品川沖台場

 江戸時代

うえへ

374 第一台場

直接波を受ける土台は緻密な石垣造りで、上部は砲撃のダメージを受けにくい土塁造り。小銃での攻防を重視した五稜郭がやや時代遅れの築城だったのに対し、大砲での攻防を重視した品川沖台場は時代に即した築城だった。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

375 品川沖台場の配置

ペリーの来航以降、外国船の脅威を感じた幕府は、江戸の海上で敵船を迎えうつための台場を7つ設置した。

現在の「お台場」もこの周辺を埋め立てて造られた地域。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

銀座ACB
昭和時代

426 銀座ACB

昭和40年代に一斉を風靡した銀座のジャズ喫茶。グループ・サウンズやアイドル歌手のステージも行われ、熱狂的なファンが詰めかけた。

考証 岐部一夫 2009年

週間朝日百科『週間 昭和』14 昭和46年

昭和42年頃のオフィス
昭和時代

427 昭和42年頃のオフィス

右の新聞社では伝書鳩が使われ、鉛筆削りのアルバイト学生もいる。部屋にはタバコの煙が立ちこめ、屋上で弁当を食べたり、バレーボールに興じるなど、昭和の会社員あるあるを描く。左の商社では、テレックスの紙テープが床に渦を巻いている。

考証 小泉和子 2009年

週間朝日百科『週間 昭和』17 昭和42年

後楽園球場

昭和

429  後楽園球場

ドーム化される以前の球場で、王貞治がホームラン数の世界新記録を達成した際の状況を、可能な限り再現した。

考証 香川元太郎 2009年

 週間朝日百科『週間 昭和』32 昭和51年

鹿鳴館
明治時代

うえへ

432 鹿鳴館

ヨーロッパ式の舞踏会などが開かれた鹿鳴館の内部を細かく割って見せている。存続時期は意外に短いが、文明開化の象徴とされる。

考証 香川元太郎 1997年 『分解図鑑 日本の建造物』

新宿の闇市
昭和時代

440 新宿の闇市

焼け跡で自然発生した闇市もテキヤなどが仕切るようになり、新宿東口和田組マーケットのように、整理された商店街も現れた。5年ほど活況を呈したが、GHQの圧力で解体される。

考証 小林克 2005年 『歴史群像シリーズ79 実録日本占領』

参勤交代の大名行列

 江戸時代

466 参勤交代の大名行列

大名行列が江戸の町に差し掛かった所を想定。領地を出る際には必ずしも大行列ではなかったが、江戸に入る時には臨時雇いで人数をそろえ、体裁を整えることも多かったという。

考証 原史彦 2007年

朝日ビジュアルシリーズ『週間 藤沢周平の世界』17

江戸の裏長屋
江戸時代

467 江戸の裏長屋

表通りの商家が大家となり、裏の敷地に設けるのが典型。狭い路地の中には、共同井戸や便所、稲荷神社などもあった。左が、特に狭くて風通しも悪い棟割長屋で、独り者の男が住む例が多かった。

考証 香川元太郎2002年

あすなろ書房 『衣食住に見る日本人の歴史4』

葛西城

 戦国時代

742 葛西城

中央の館を中心に発達した、戦国時代の平城の典型例。川と低湿地を利用した水堀で防備を固めていた。国府台合戦で北条方の出撃基地となった際の状況を想定している。

考証 香川元太郎 1990年 『東京の一万年 上巻』

滝山城
戦国時代

795 滝山城

東京を代表する戦国の城。北条氏が武蔵地方の拠点としていた。空堀と土塁を組み合わせ、角馬出と横矢がかりを多用する北条流縄張りの例。

考証 香川元太郎 2016年

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日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

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