臨淄(りんし)

 BC5~3世紀 中国山東省

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634  臨淄(りんし)

中国古代の春秋・戦国時代に栄えた斉の都城。斉の始祖は太公望とされ、諸国をリードする存在だった。現在も宮殿の跡「桓公台」や右下の排水口遺構などが残る。宮殿は階段ピラミッドのような基壇の上に建てる「高台建築」で、外観は高層建築のように見える。

版築

 古代中国

632  版築

土を突き固めて壇を作る工法。板枠を用いて隅まで強く固め、垂直に近い壁を造る。古代の中国では都城の城壁や建物の基壇など、さまざまな土木工事に版築が使われた。

咸陽(かんよう)

 BC3世紀 中国陝西省

655   咸陽

秦の都であった咸陽では、大規模な宮殿遺構が発見されている。その一方、古代中国の都につきものの城壁遺構は発見されず、全容はまだ謎の部分が多い。

洛陽(らくよう)

 1世紀 中国河南省

658   洛陽

古代から何度も首都となった伝統の都。イラストは後漢時代を想定している。北宮、南宮の2つの宮殿を中心に、庭、廟、武器庫などがあったことが知られている。後の魏の時代には邪馬台国の使者も訪れたと思われる

敖倉(ごうそう)

 BC3~2世紀 中国

630   敖倉

古代中国では、たびたび穀物の貯蔵庫が造られたが、中でも秦が構築した「敖倉」はひときわ巨大なものだった。現在はその位置も不明だが、同時代の穀倉遺構などから推定復元した。

万里の長城

 BC3世紀 中国

秦の始皇帝時代の万里の長城イメージ。当時の長城は版築で築かれ、外側には空堀が掘られていた。要所には小要塞や門が造られた。

特に平地に造られた場合の施設の例を示した。左上が城外側で、このように川を外堀に利用したり、柵列を廻らせたりすることもあった。城内側には、兵の駐屯地も造られた。

中国では古代から、辺境地防衛のため万里の長城をはじめとするさまざまな施設が造られた。烽火台も数多く造られたと思われ、その典型的な形をイラスト化した。

637   烽火台

633  万里の長城

636  万里の長城

長安(ちょうあん)

 7世紀 中国中国陝西省

654   長安

洛陽と同じく、古代中国で何度も都とされた。イラストでは長安が最も栄えた唐の時代を想定。古代日本の都だった平城京や平安京なども長安に倣ってプランニングされた。

蓬莱水城

 14世紀 中国山東省

660   蓬莱水城

明の時代に、山東半島に築かれた水軍基地で、主に倭寇の侵入に備える目的で築かれた。明代の築城では、城壁も版築に変わって、瓦の一種である磚(せん)や石が使われるようになってくる。

近代の上海

 1860年頃 中国

149   近代の上海

左の丸い城壁に囲まれた地域が「県城」と呼ばれる古くからの街で、その東側には西洋列強の領事館や商社などの近代建築が立ち並んでいた。「租界」「バンド」などと呼ばれたこの地域はその後さらに発達し、現在の先進都市上海のもとになった。

旅順要塞の攻防

 1904年 中国遼寧省

444   旅順要塞の攻防

旅順要塞の攻防は、日露戦争の焦点だった。旅順要塞は、旅順港を囲む尾根上に塁線を廻らせるもので、要所に砲台を配していた。中でも東鶏冠山砲台は難攻不落で、旧日本軍はこれを繰り返し攻めて、多数の犠牲を出した。左側の斜面にあるのが旧日本軍の塹壕。これも含めて、当時の軍による詳細な地図が残されている。

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