名古屋城

江戸時代

169 名古屋城

江戸時代初期に、大阪の豊臣氏に対抗する城として、幕府の命による天下普請で築城された。台地の先端部を利用しており、二の丸は戦国時代に信長の居城だった那古屋城の跡地。北の湿地「御深井」は広い水堀となった。

考証 香川元太郎  2003年  PHP研究所『名城を歩く』5

176 幻の小天守

城大工の中井家に残された平面図には、小天守が現在と異なる配置になっているものがあり、これをもとに描いた。現在の天守石垣西面には出入り口をふさいだ跡があり、実際にある程度まで建設が進んだ後、計画が変更されて現在の形になったと考えられる。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

177 名古屋城天守

最上階には遠眼鏡が備えられていた。名古屋城の本丸は将軍が上洛する際の宿所となっており、天守内にも通常は使われない将軍専用の階段があった。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

179 清洲櫓

名古屋城の西の端に現存する櫓で、清須城天守を移築したとの伝承から名づけられた。全体の形は江戸時代的だが、解体修理では転用材がみつかっており、実際に清須城天守の材も再利用されたと思われる。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

180 名古屋城天守

戦災で焼失するまで残っていたため、中の様子が分かる史料も多い。地下には井戸があり、一階からも水が汲める仕組みになっていた。隠し狭間や小天守との間の剣塀など、戦闘のための工夫もある。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

清洲城 

 安土桃山時代

うえへ

織田信長の初期の本城。名古屋城清洲櫓の調査を参考に、廃城前(桃山末期)の清洲城天守をイメージした。

199 清洲城

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

那古野城 

 戦国時代

242 那古野城

現在の名古屋城二の丸にあった。台地の先端を利用し、北は御深井と呼ばれる湿地。織田家の館を中心に、家臣団の方形館が取り囲んでいたと推定。左上の遠景には清洲の街も描いた。

考証 千田嘉博 2001年 歴史群像シリーズ『激震 織田信長』

小牧城

 安土桃山時代

246  小牧城

美濃攻略を目指した信長が、清洲城の後に本城とした。その当時を推定復元。最近、本丸周辺の発掘調査が進み、推定復元の形も年々変化している。

考証 千田嘉博 2002年 歴史群像シリーズ『 奮闘 前田利家』

勝幡城

戦国時代

284  勝幡城

方形館タイプの平城だが、湿地を利用した堀で防備を固めていた。織田信長の父、信秀の居城で、信長もこの城で生まれたと考えられる。

考証 千田嘉博  1992年 歴史群像シリーズ27『風雲信長記』

桶狭間

戦国時代

うえへ

290 氷上山砦

桶狭間城郭群のひとつで、信長方の砦。上の図では一番右下にある。

考証 高田徹  2008年 『 歴史群像87  2月号』

291 鷲津砦

信長方の砦で、上の図では中央下にある。桶狭間の戦い直前に、丸根砦とともに今川方によって落城。この勝利に祝杯を上げていた今川軍を信長が急襲して勝利したとされる。

考証 高田徹  2008年 『 歴史群像87  2月号』

292 桶狭間

桶狭間の合戦で戦場になった地域の全体像。イラスト下は海で、現在は陸になっているが、当時は深く内湾が入り込んでいた。

考証 高田徹 2008年 『 歴史群像87 2月号』

長篠城 

戦国時代

299  長篠城

奥三河にある、川の合流点を利用した城。城主の奥平氏は徳川方に付いたが、武田勝頼に攻められて激しい籠城戦を行い、これが長篠合戦の前哨戦となった。イラストは籠城戦を想定。右には武田方の陣城が点在。

考証 中井均  2002年  『 歴史群像54  8月号』

古宮城 

戦国時代

802  古宮城

長篠城と同じ奥三河で、武田方の城。丘の斜面全域に隙間なく横堀が巡らされている。武田勝頼と、徳川家康の間で緊張が高まり、城の戦闘力を高めようと堀を掘りまくってこのような形になったと推定。

考証 西股総生  2017年 『 歴史群像143  6月号』

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

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