松江城

 江戸時代

山陰を代表する城。往時は、三つの廊下橋が架かる近世的な三の丸・地形に沿った中世的な構成の北の丸・ギザギザの折塀に囲まれた後曲輪など、さまざまな表情を持っていた。

現存する天守の内部。入り口となる付櫓の部屋の中に向かって、天守本体から狭間(銃眼)が開いている所に、最後まで敵を攻撃する姿勢が見られる。

89  松江城

96  松江城天守

月山富田城

 戦国時代

尼子氏の本城。複雑な地形に何重もの防衛戦が張られていた。

尼子氏滅亡後は毛利氏配下となっていたが、その後秀吉配下の堀尾吉晴が入城して、中心部に織豊系の築城を施し、石垣などを築いた。

中心部をクローズアップ。イラストの建物は推定だが、御殿や天守的な櫓があったと考えられる。

228  月山富田城

272  月山富田城

271  月山富田城

三宅御土居 

 戦国時代

     三宅御土居

山陰の益田は中世から益田氏の本拠として栄えた。益田氏が平地に築いた館は三宅御土居と呼ばれる。水堀に囲まれ、左右に高い土塁を備えていた。

(益田市蔵)

石見七尾城 

 戦国時代

     石見七尾城

益田氏が築いた山城。主殿や庭の遺構もあり、全国で戦乱が日常化した戦国後期に、本拠を三宅御土居からこの城に移したと想像されている。

(益田市蔵)

中世の益田 

 戦国時代

平野の奥に館(三宅御土居)や城(七尾城)が造られ、河口に発達した湾に面して、いくつかの湊が造られて、朝鮮や明との貿易も行っていた。益田に限らず、中世には各地の河口に湾が存在し、湊として利用された例が多い。

湊遺跡の一つが全面的に発掘され、その成果に基づいて復元。海岸には石敷きの遺構があり、炉の跡も複数発見されて、刀などの鉄製品工房があったと推定されている。

     中世の益田

(益田市蔵)

     中世の益田湊

(益田市蔵)

石見銀山

 江戸時代

469  石見銀山

世界遺産。戦国時代から江戸時代にかけて栄えた。江戸時代には幕府の直轄地で、「柵の内」への立ち入りが禁止されていた。オレンジの線は「間歩」と呼ばれる坑道で、その全貌は現在も把握しきれないという。

当サイトはリンクフリーですが相互リンクはお断りしております。

Copyright (c) Gentaro Kagawa All Righrs Reserved.

このサイトのすべての画像・文章の無断転載・複製・改竄を禁じます。

 管理人 さちたろう

中学歴史教科書

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

香川元太郎Twitter