松江城

 江戸時代

89  松江城

山陰を代表する城。往時は、三つの廊下橋が架かる近世的な三の丸・地形に沿った中世的な構成の北の丸・ギザギザの折塀に囲まれた後曲輪など、さまざまな表情を持っていた。

考証 香川元太郎 2003年

 PHP研究所 歴史街道スペシャル『名城を歩く』9

96  松江城天守

現存する天守の内部。入り口となる付櫓の部屋の中に向かって、天守本体から狭間(銃眼)が開いている所に、最後まで敵を攻撃する姿勢が見られる。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

月山富田城

 戦国時代

228  月山富田城

山陰を代表する戦国の大城郭。尼子氏の本城で、その後毛利氏の配下となり、最後は堀尾氏によって整備された。寺井毅氏の縄張り図による戦国期の復元で、複雑な地形に何重もの防衛戦が張られていた。

考証 香川元太郎 2006年 学研『戦国の堅城Ⅱ』

270 月山富田城

堀尾時代

上とほぼ同じ南からのアングルで、堀尾氏が中心部を織豊系城郭に改修した当時を想定。城下町も整備されたと推定している。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

271  月山富田城

中心部

270と同じ堀尾時代の中心部をクローズアップ。建物は推定だが、御殿や天守があったと考えられる。

考証 西ケ谷康弘 1997年 歴史群像シリーズ49『毛利戦記』

272  月山富田城

西から

270と同じ時代設定で異なるアングル。堀尾氏は月山富田城を整備した後、松江城を築城。月山富田城は廃城となった。

考証 西ケ谷康弘 1997年 歴史群像シリーズ49『毛利戦記』

石見銀山

 江戸時代

469  石見銀山

世界遺産。戦国時代から江戸時代にかけて栄えた。江戸時代には幕府の直轄地で、「柵の内」への立ち入りが禁止されていた。オレンジの線は「間歩」と呼ばれる坑道で、その全貌は現在も把握しきれないという。

考証 中野義文 2012年

朝日ビジュアルシリーズ『週間 日本世界遺産』20石見銀山

出雲大社

平安時代

758 出雲大社

平安時代の出雲大社には、圧倒的な高さを持つ本殿がそびえ、何度か倒壊して建て直されたと伝承されている。巨大な柱が必要なため、3本の木をタガで締めて1本にしていたとされるが、2000年には実際に3本を1つにした鎌倉期の柱の基底部が発掘された。

考証 香川元太郎 2000年

あすなろ書房 『日本人は木でなにをつくってきたか』

三宅御土居 

 戦国時代

三宅御土居

(益田市蔵)

山陰の益田は中世から益田氏の本拠として栄えた。益田氏が平地に築いた館は三宅御土居と呼ばれる。水堀に囲まれ、左右に高い土塁を備えていた。

石見七尾城 

 戦国時代

石見七尾城

(益田市蔵)

益田氏が築いた山城。主殿や庭の遺構もあり、全国で戦乱が日常化した戦国後期に、本拠を三宅御土居からこの城に移したと想像されている。

中世の益田 

 戦国時代

中世の益田

(益田市蔵)

平野の奥に館(三宅御土居)や城(七尾城)が造られ、河口に発達した湾に面して、いくつかの湊が造られて、朝鮮や明との貿易も行っていた。益田に限らず、中世には各地の河口に湾が存在し、湊として利用された例が多い。

中世の益田湊

(益田市蔵)

湊遺跡の一つが全面的に発掘され、その成果に基づいて復元。海岸には石敷きの遺構があり、炉の跡も複数発見されて、刀などの鉄製品工房があったと推定されている。

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

このサイトのすべての画像・文章の無断転載・複製・改竄を禁じます。

当サイトはリンクフリーですが相互リンクはお断りしております。

Copyright (c) Gentaro Kagawa & shiori kagawa All Righrs Reserved.

管理人 さちたろう