大坂城 

 安土桃山時代

13  大坂冬の陣

大坂城は広大な惣構(町家も取り込んだ外堀)を持ち、合戦前には南の堀の外に真田丸も増設されていた。幕府軍はこれを攻めあぐねるが、大砲を多く用いたことで有利な講和に持ち込んだ。

考証 香川元太郎 1994年 世界文化社

16  大坂城 豊臣期1

秀吉時代の大坂城。前身となった石山本願寺の構造を反映したためか、縄張りが複雑で、本丸がいくつかの曲輪に分かれる。左の大手口(上町口)では障子堀が発見されている。

考証 中井均・樋口隆晴 2011年 学研『軍事分析 戦国の城』

17  大坂城天守

北側の山里曲輪から見上げる。「大坂夏の陣屏風」からの推定。形は昭和のコンクリート天守に似ているが、外壁が黒い。

考証 香川元太郎 1993年 世界文化社

27  大坂城 豊臣期2

16と同じ豊臣期の中心部を描いているが、堀の配置は「大坂冬陣配陣図」による。これを描いた時にはまだ障子堀が発見されていなかった。また地形上、このように堀が全部水堀だったとは考えにくい。

考証 香川元太郎 1993年  世界文化社

32 大坂夏の陣

落城する大坂城のイメージ。本丸には、右の天守のほか、家康が作った天守(四階櫓)もあったと推定される。

考証 香川元太郎 1994年  世界文化社

大坂城 

 江戸時代

15  大坂城(南から)

江戸時代前期(寛永期)の大坂城。大坂の陣の際に埋め立て、破壊された秀吉時代の大坂城の上に、幕府が多くの大名を動員した天下普請で築かれた。広い堀と高石垣のスケールの大きさは、日本の城でも随一。

考証 香川元太郎 2003年  PHP研究所「名城を歩く」11

18  煙硝蔵

大坂城に現存する火薬庫。壁も床も天井も石造りで、木材は瓦を固定するためにしか使われていない。大坂城では、当初の煙硝蔵が火事の際に爆発して大被害を出しており、この経験から防火性の高い蔵が工夫されたという。同じタイプの煙硝蔵は、名古屋城、姫路城などにも存在したと思われる。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社

24  大坂城(東から)

江戸時代中期の状況を想定した。大坂城は西国の要となる幕府直轄の城として城代が置かれていた。天守は落雷によって失われた後、再建されなかった。

考証 香川元太郎 1997年  世界文化社

26  大坂城天守

寛永期に建造。同時期の江戸城天守よりわずかに小さいが、おそらく史上2番目に高い天守で、形もよく似ている。現在の大坂城天守は、昭和初期の建造で、この徳川時代の天守台(天守石垣)の上に、秀吉時代の天守をイメージして作られた。

考証 香川元太郎 1993年 世界文化社

808 大坂城

大坂冬の陣を想定して、北東から鳥瞰した。ここでは「大坂冬陣配陣図」を資料に、北の堀が川に繋がり、舟入になるよう描いたが、異なる考証もある。

考証 松岡利郎 2016年 『戦国王創刊号』

真田丸 

 江戸時代

14  真田丸

大坂冬の陣で、豊臣方の真田信繁(幸村)が南の平野口に構築した出城。古図を基本資料とした中井均氏の復元案。

考証 中井均 2000年 歴史群像シリーズ『 激闘大坂の陣』

19  真田丸の構造

「大坂冬の陣屏風」には攻城方、守城方ともに様々な構築物を築いた様子が描かれている。これに伝承のあるトンネル戦法を加えて図示した。

 考証 香川元太郎 1996年  世界文化社『日本の城』

785  真田丸

地理の専門家である坂井尚登氏の考証によるもので、14のイラストとは別の絵図と、戦前の地形図を資料としている。真田丸は、市街地となって遺構が残らないだけに、復元案も複数ある。

考証 坂井尚登 2015年n『歴史群像131 6月号』

岡ミサンザイ古墳城郭

 戦国時代

286  岡ミサンザイ古墳城郭

歴史上に名前の残る城ではないが、古墳を利用した城(砦)の典型例としてイラスト復元。大坂の陣で陣城になったとの考証もある。

考証 遠藤啓輔 2005年 『歴史群像 12月号』

芥川山城

 戦国時代

294  芥川山城

高槻市に城址が残る三好長慶の居城。長慶の後も三好氏の城だったが、織田信長の攻撃によって落城した。典型的な戦国の山城。

考証 中井均 2002年 『歴史群像55 10月号』

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

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