姫路城

 安土桃山代

もとは黒田官兵衛の城で、羽柴秀吉が、信長の下で中国戦線を戦う際、居城として整備した。当時は丘陵部分のみが城だったと推定される。

秀吉の居城だった当時の姫路城は、初期的な織豊城郭だったと思われる。現在の姫路城天守を解体修理した際、別の建物から再利用された部材が発見され、これを秀吉時代の天守の部材と考えて当時をイメージした。

 46    姫路城

 49   秀吉時代の天守

姫路城 

 江戸時代

世界遺産。池田輝政が大改修して主要部が造られ、その後の本田時代などにも増築されて完成した。江戸時代には、現在の城跡(内郭)の外側に、広大な外郭(惣構え)が広がっており、全国でも屈指の規模を誇っていた。

現存する天守は池田輝政によって造られたもので、当時の様子を想定した。後に建物が建ち並ぶ西の丸(左)は、当時の状況は不明。

西の丸や三の丸の御殿も完成した状況。平成に入ってから、江戸中期(1700年前後)の建物配置を記した平面図が発見され、当時の御殿配置などが分かるようになった。

上のイラストと同じ想定で、角度を変えて描いたもの。現在建物が残されているのは丘を利用した部分(イラストでは上半分)だけだが、それでも現存建物の数は他の城に比べて群を抜いている。

天守曲輪とは、天守を中心とする一角が小さい曲輪を形成し、最後の砦となるもの。姫路城ではここに小さい門が連続する極めて堅固な防御プランを見ることができる。左下の「ほの門」から、西小天守地下の「水六門」まで、合計7つの門がある。

大天守と3つの小天守を渡り櫓で結ぶ構成は「連立式天守」と呼ばれる。中庭には2階建ての台所もあり、その構造は極めて複雑。解体修理報告書と現地取材を資料として描いているが、香川の城イラストの中でも、最も制作に時間がかかったもの。

姫路城の中心部(丘陵部分)の大手門に当たる二階櫓門。城内側から見ている。意外にも内部に階段はなく、1階と2階は入り口が別。

菱の門から天守に向かうルートで5番めの門。櫓の地下をL字型に折れながら潜り抜ける特殊な構造の門。

西の丸を囲む多門櫓「長局」の最深部にある櫓で、二階は畳や障子が入る住宅的な造りとなっている。西の丸は徳川将軍家から千姫が本多氏に輿入れした際に整備されたが、化粧櫓も千姫の化粧料で建てられた事から名づけられた。

天守曲輪の北側に配された多門櫓には、内部に井戸があるなど籠城への備えが見られる。内部は主に倉庫で、外観は連続した櫓だが内部はそれぞれ独立した部屋となっている。中央部の多門櫓は塩が蓄えられていたとされ、「塩櫓」と呼ばれている。

48  姫路城鳥瞰

39  創世時の姫路城

47  江戸中期内郭

38  江戸中期内郭

50  姫路城天守曲輪

37  天守断面

33  菱の門

45  にの門

36  化粧櫓

34  塩櫓

和田岬砲台

 江戸時代

376  和田岬砲台

幕末の砲台だが、それまでの砲台とは異なり、石造りの塔に設置された。「マルテロ塔」など、同時期のヨーロッパの小型要塞に似たものがあり、これらに倣ったと思われる。

丹波篠山城

 江戸時代

216  篠山城

幕府の命によって造られた天下普請の城。縄張りは藤堂高虎。名築城家と言われた高虎は、幕府の城でも度々縄張りを担当しており、特に篠山城の築城で近世城郭の典型的なパターンを完成させたと思われる。

当サイトはリンクフリーですが相互リンクはお断りしております。

Copyright (c) Gentaro Kagawa All Righrs Reserved.

このサイトのすべての画像・文章の無断転載・複製・改竄を禁じます。

 管理人 さちたろう

中学歴史教科書

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

香川元太郎Twitter