順天倭城 

 安土桃山時代

190  順天倭城

秀吉の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役)の際、日本軍は現地の拠点として多くの城を築いた。これを「倭城」と呼ぶ。倭城は織豊城郭が近世城郭に完成する過程の城で、城郭史では重要な存在。順天は西の最前線の倭城で、激しい戦いが行われた。

考証 中井均 2001年 『歴史群像46 4月号』

泗川倭城 

 安土桃山時代

191  泗川倭城

朝鮮半島南岸のほぼ中央に築かれた倭城。慶長の役の最後には、島津氏と朝鮮・明の連合軍との間に激しい戦いが行われた。

考証 高田徹 2001年

『歴史群像シリーズ 戦国 セレクション 島津戦記』

826  泗川倭城

文禄・慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で朝鮮半島に築かれた倭城のひとつ。秀吉が死去した後の撤退戦で、この城に籠る島津軍が、明の大軍を撃退した。朝鮮側の絵図などを資料にした堀口氏の復元案。

考証 堀口健弐 2018年『 歴史群像148 4月号』

碧蹄館の戦い

安土桃山時代

653 碧蹄館の戦い

文禄の役で平壌まで進行した日本軍は、明・朝鮮軍の攻勢を受けて漢城まで後退する。進行する明・朝鮮軍と、それを迎え討つ日本軍は漢城北西の谷、碧蹄館で激突、日本側が勝利した。

考証 香川元太郎 2001年

『 歴史群像シリーズ特別編集 図説戦国合戦集』

長門浦城•松真浦城 

 安土桃山時代

782  長門浦城•松真浦城

韓国南部、巨済島の倭城。文禄の役で、島津氏らの日本軍が築いた城郭群。李舜臣率いる朝鮮水軍に圧倒されていた日本水軍を守るため、湾の入り口を抑えていた。

考証 三島正之 2014年『歴史群像128 12月号』

閑山島の戦い 

 安土桃山時代

    閑山島の戦い

(村上水軍博物館蔵)

秀吉の朝鮮侵攻では、戦い慣れた日本軍が朝鮮の都市を次々と制圧したが、李舜臣率いる朝鮮水軍の活躍が日本側の勢いを阻んだ。イラストは閑山島の戦いを想定したもので、地形を熟知した李舜臣の戦術と、新兵器「亀甲船」によって、脇坂安治の水軍が大打撃をこうむった。

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

学研「歴史群像 デジタル歴史館」

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