聚楽第 

 安土桃山時代

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25  聚楽第

伝長谷川等伯筆「聚楽第図」(現在行方不明)を模写・補足したイメージ画。聚楽第は秀吉が京都市中に構えた館城だが、やっと場所が推定できる程度で具体的な復元資料が無い。

伏見城 

 安土桃山時代

伏見の街に臨む岡(現在の明治天皇陵)に築かれた。秀吉晩年の居城。当時、南(イラスト上方)には湖(小椋池)があり、当初は湖に面した向島に城が築かれたが地震で倒壊、場所を丘陵上に変えて築城された。

西から観た城の全体像。縄張りの調査記録は古いものしか無いが、立ち入り禁止区域だけに、現在も地形はよく保存され、昔の調査もほぼ正確と確認されている。

建物は想像の域を出ないが、移築の伝承がある建物からは真壁作りの建物がイメージされる。

関ヶ原の戦いの前哨戦。伏見城には徳川方の鳥居忠元が籠り、西軍の猛攻に耐えたが、内通者によって火災がおき、落城したという。

53  伏見城

56  伏見城

55  伏見城落城

52  伏見城中心部

二条城

 江戸時代

二条城は、京都の為政者の城として、戦国時代から何度も築城されたと考えられている。イラストは幕府が築城した二条城の初期の状態を想定し、当時は現在の二の丸部分だけの城だったとの推定によって描いている。

徳川家光時代の寛永期、二条城は後水尾天皇の行幸に向けて大改築された。現存する二の丸御殿のほか、本丸御殿や天守もある堂々たる構えだった。

大坂城や江戸城の天守と同系の層塔式天守だったと推定されている。

現存する建物は屋根を透かせて部屋割りを見せている。かつては屋根が檜皮葺で、能舞台(手前)などもあった。右上の瓦葺建物は台所。

70  二条城(創建時)

73  二条城(江戸前期)

69  二条城天守

71  二条城御殿

勝竜寺城 

 安土桃山時代

192  勝竜寺城

歴史ある中世城郭だが、細川幽斎によって大規模に改築された。細川忠興、ガラシャ夫妻も住んだ。

山崎城 

 安土桃山時代

195 山崎城

羽柴秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦で、秀吉側の拠点となった天王山に築かれた山城。合戦後に築城され、しばらくの間、秀吉の居城となった。

田辺城 

 安土桃山時代

210 田辺城攻め

勝竜寺城と同じく、細川幽斎・忠興の城。関ヶ原の戦いの際、幽斎が籠城、西軍の包囲攻撃を受けたが、天皇家の仲裁によって開城した。その際の配陣図は当時の籠城戦を知る貴重な資料で、それをもとに描いている。

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(元太郎が所属する城研究会)

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