聚楽第 

 安土桃山時代

25  聚楽第

伝長谷川等伯筆「聚楽第図」(現在行方不明)をもとにしたイメージ復元。聚楽第は秀吉が京都市中に構えた館城だが、やっと場所が推定できる程度で具体的な復元資料が無い。

2002年

57  聚楽第

伝長谷川等伯筆「聚楽第図」(現在行方不明)を模写・補足したイメージ画。上のイラストより、さらに原画に近いもので、城の復元イラストとして納得できるものではない。

2002年

伏見城 

 安土桃山時代

52  伏見城中心部

伏見の街に臨む丘(現在の明治天皇陵)に築かれた、秀吉晩年の居城。建物は想像の域を出ないが、移築の伝承がある建物からは真壁作りの建物がイメージされる。

考証 香川元太郎 1996年  世界文化社

53  伏見城と巨椋池

当時、南(イラスト上方)には湖(巨椋池)があった。伏見城は、始めは湖に面した向島に城が築かれたが地震で倒壊、場所を丘陵上に変えて築城された。

考証  山田邦和   2002年

歴史群像シリーズ「図説戦国女性と暮らし」(2011年掲載)

54  伏見城城下町

上と同じ伏見城の城下を東から見る。城下には総構えの外堀が巡らされていた。左下の川沿いの道は、秀吉が桜並木を植えたとされる。

考証 山田邦和 2001年

55  伏見城落城

関ヶ原の戦いの前哨戦。伏見城には徳川方の鳥居忠元が籠り、西軍の猛攻に耐えたが、内通者によって火災がおき、落城したという。

考証 中井均 2006年

『新・歴史群像シリーズ①関ヶ原の戦い』

56  伏見城

西から観た城の全体像。縄張りの調査記録は古いものしか無いが、立ち入り禁止区域だけに、現在も地形はよく保存され、昔の調査もほぼ正確と確認されている。

考証 中井均 2001年 『歴史群像49 10月号』

二条城

 江戸時代

69  二条城天守

大坂城や江戸城の天守と同系の層塔式天守だったと推定されている。

考証 香川元太郎  1997年 世界文化社 『日本の城』

70  二条城(創建時)

二条城は、京都の為政者の城として、戦国時代から何度も築城されたと考えられている。イラストは幕府が築城した二条城の初期の状態を想定し、当時は現在の二の丸部分だけの城だったとの推定によって描いている。

考証 中井均  2010年 『歴史群像100 4月号』

71  二条城御殿

現存する建物は屋根を透かせて部屋割りを見せている。かつては屋根が檜皮葺で、能舞台(手前)などもあった。右上の瓦葺建物は台所。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

72  二条城廊下橋

本丸入口に掛けられた橋を南から見る。橋は2階建ての廊下橋で、二の丸御殿から、本丸御殿へ外を通らずに直接行き来することができた。

考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

73  二条城(江戸前期)

徳川家光時代の寛永期、二条城は後水尾天皇の行幸に向けて大改築された。現存する二の丸御殿のほか、本丸御殿や天守もある堂々たる構えだった。

考証 香川元太郎 2004年  PHP研究所 『名城を歩く』20

勝竜寺城 

 安土桃山時代

192  勝竜寺城

歴史ある中世城郭だが、細川幽斎によって大規模に改築された。細川忠興、ガラシャ夫妻も住んだ。

考証 中井均 2011年 『歴史群像110  12月号』

山崎城 

 安土桃山時代

195 山崎城

羽柴秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦で、秀吉側の拠点となった天王山に築かれた山城。合戦後に築城され、しばらくの間、秀吉の居城となった。

考証 中井均 2008年 『歴史群像91 10月号』

うえへ

田辺城 

 安土桃山時代

210 田辺城攻め

勝竜寺城と同じく、細川幽斎・忠興の城。関ヶ原の戦いの際、幽斎が籠城、西軍の包囲攻撃を受けたが、天皇家の仲裁によって開城した。その際の配陣図は当時の籠城戦を知る貴重な資料で、それをもとに描いている。

考証 吉岡博之 2000年 歴史群像シリーズ『決戦関ヶ原』

戦国期の矢倉
戦国時代

220 戦国期の矢倉

戦国期の京都を描いた「上杉本洛中洛外図屏風」左隻第二扇に、築地塀の上に乗せた隅櫓が描かれており、これをもとに推定復元した。

考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

山科本願寺

 戦国時代

223  山科本願寺

大きな寺院は門前町を取り込んだ堀などを構築して城郭化することが多く、寺内町と呼ばれる。特に堅固な寺内町を造った一向宗の総本山、山科本願寺を現地遺構や絵図から推定復元。

考証 香川元太郎 1998年 世界文化社

282  山科本願寺

上と同じ本願寺の角度を変えた鳥瞰。上の小さい城のような一画は、蓮如の屋敷と言われる南殿。山科本願寺は六角氏と法華宗徒によって焼き討ちされ、本願寺の本拠は石山本願寺へと移行する。

考証 中井均 2001年 『歴史群像48 8月号』

伏見の戦い

 江戸時代

431  伏見の戦い

幕末の鳥羽・伏見の戦いで襲撃される伏見奉行所。戦いは夜まで続き、奉行所は炎上した。

考証 中村武生 2004年 歴史群像シリーズ72『 新撰組隊士伝』

近江屋事件

 江戸時代

433  近江屋事件

幕末の京都で、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺された事件。左奥が中岡、右奥が坂本で、手前に倒れるのは巨漢の用心棒

2006年

京都 

 戦国時代〜江戸時代

495 戦国時代の京都

広大な都として栄えた京都だが、応仁の乱で多くの部分が焼失した。その後の京都は、上京、下京の二つの地域を中心に街が造られ、堀や塀で囲まれて自衛していた。

考証 高橋康夫 2007年 新・歴史群像シリーズ9 『本能寺の変』

496 戦国時代の京都

上のイラストより少し前、まだ信長が上洛する前の状況を描いている。信長による足利義昭邸(最初の二条城とも言われる)がまだ造られていない。

考証 香川元太郎 2005年 学研『日本の歴史 パノラマ絵地図4』

470 幕末の京都

戦国期に比べると、街は大きくなっていたが、まだ現在に比べれば狭い。秀吉が築いた御土居も大半は残されていた。

考証 香川元太郎 1996年 世界文化社

うえへ

平安京

 平安時代

500  平安京

平安時代に造られた街並は、唐の長安にならって整然と計画されていた。実際には住みにくい地域も含まれており、少しずつ街の姿は変化していったと思われる。

考証 香川元太郎 1998年  世界文化社

506 羅城門

平安京の南の門で、朱雀大路の最南端に建てられた巨大な門。後には荒廃し、鬼の伝説が生まれたり、芥川龍之介「羅生門」の舞台となったりした。

考証 高橋康夫 2003年 
朝日ビジュアルシリーズ「週間日本遺産」26東寺

白河
平安時代

508 白河(院政期の京都東部)

白河法王が屋敷を構えたという京都東部の一画で、八角形九重の塔を擁した法勝寺をはじめ、6つの浄土教寺院も造られて、平安時代後期には日本の文化と政治の中心地だった。

考証 香川元太郎 2005年 学研

『日本の歴史 パノラマ絵地図2』

清水寺

 奈良時代

560  清水寺

有名な舞台(懸け作り)をはじめとする清水寺の独特な構造を、断面で表現した。左の一段高い山上にあるのは、縁結びで人気の地主神社。

考証 松崎照明 2003年

朝日ビジュアルシリーズ『週間 日本遺産』18清水寺

池田屋事件

 江戸時代

756  池田屋事件

新撰組の名を有名にした事件。旅館「池田屋」に集まっていた尊王攘夷派の志士たちを新撰組が襲った。激しい戦闘の末、多くの志士が死亡または捕縛され、明治維新の歴史に多くの影響を与えたと言われる。

考証 香川元太郎 1995年 世界文化社

日本城郭史学会

(元太郎が所属する城研究会)

このサイトのすべての画像・文章の無断転載・複製・改竄を禁じます。

当サイトはリンクフリーですが相互リンクはお断りしております。

Copyright (c) Gentaro Kagawa & shiori kagawa All Righrs Reserved.

管理人 さちたろう