ロンドン塔

 14世紀 イギリス

599 ロンドン塔

11世紀にウイリアム征服王がイングランドの王に即位して築いた城。

ウイリアム2世の時代に完成したキープが「ホワイト・タワー」または「タワー・オブ・ロンドン」と呼ばれた事から、それが城全体の呼び名になった。その後周りの城壁も度々増築され、14世紀にはイラストのような姿になった。

ウィーン

 17世紀 オーストリア

564 ウィーン

高くて内部に部屋を持つ中世の塔が、大砲に弱かったことから、16〜18世紀のヨーロッパでは、低くて厚い城壁による稜堡が発達した。イラストは音楽の都、ハプスブルグ家の帝都でもあったウィーン。古くは中世スタイルの城郭都市だったが、16世紀以降は稜堡が発達し、その様子は緻密な古地図によって知ることができる。

稜堡をめぐる攻防

 17世紀 フランス

754 稜堡をめぐる攻防

陵堡式築城では、城壁のすべての場所に十字砲火が与えられるように、という発想からギザギザの城壁が工夫された。そのシステムの確立者として知られるフランスのヴォ―バンは、塹壕を駆使してその城壁を攻める方法でも第一人者だった。イラストはヴォ―バンが手掛けた城郭都市ヌフ・ブリザックをモデルに、ヴォ―バンの攻城法も描いた。

城の変遷

 14世紀〜19世紀 ヨーロッパ

中世の領主の城。近世になって大砲が使われるようになると、実践的な城ではこの形式は使われなくなっていく。しかし中世の城のイメージは、戦闘用ではない館に引き継がれた。

中世ヨーロッパでは、各地の主要都市が城壁で囲まれていた。街の中心には教会と広場があり、家は2階・3階建てが多かった。

近世になると、実践的な城が陵堡築城に発達する一方で、王や領主の館は、見た目や居住性重視の館城へと発達していった。現在、観光地として有名な城にはこのタイプのものが多い。

561  城の変遷1

562  城の変遷2

563   城の変遷3

マルテロ塔

 19世紀 イギリス

580 マルテロ塔

ヨーロッパでは大砲の威力が向上するにつれて、城壁での小銃の攻防を重視した陵堡式築城も次第に時代遅れとなってきた。守るべき都市などが遠くからの砲撃で破壊されてしまうのを防ぐには、都市に敵の大砲を近づけないよう、郊外に小要塞や砲台を点在させるプランが重要になった。イラストはイギリスの海岸に設けられた砲台で、これが100以上造られた。

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(元太郎が所属する城研究会)

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